ジャガイモが元気に成長しています。

 

「宇宙訳日月神示」より転載します。

■  善悪の知識の木の実

 毎週日曜日には、礼拝に参加しました。また、聖書の輪読会にも参加しました。キリスト教では、この世は神と人間、万物の3階層に分かれると説いています。

 また、キリスト教では、アダムの犯した罪が全人類に及んでいるといっています。神はエデンの園にアダムとイヴを置き、あらゆるものを食べて良いと命じたが(創世記2章15節 – 17節)、「善悪の知識の木の実」だけは「採って食べると死ぬであろう」として食べることを禁じました。しかし蛇にそそのかされたイヴが「善悪の知識の木の実」を食べ、イヴに勧められたアダムも食べました(創世記3章1節 – 7節)。これが人類の原罪になってしまったといっています。

 聖書では「善悪の知識の木の実」を食べたことが、人間の原罪であるといっているのです。確かに理論や理屈を知るだけでは、知った気になってしまい、真実には至らないのではないかと思います。また、善悪を判断基準にすると、「自分は正しいが、あなたは間違っている」ということになるので、対立の元になってしまいます。人間が「善悪の知識の木の実」を食べたことから、人類は二元になっていったと考えられます。

 聖書にある「善悪の知識の木の実を食べると、死ぬであろう」という短いフレーズは、真実を言い当てていると思います。

■  キリストによる救い

 アダムとイヴが「善悪の知識の木の実」を食べてしまい、罪を負ってしまったため、その原罪を清算してくれるイエス・キリストが必要であるといいます。キリスト教信者は、「キリストが私たちの罪のために死んでくださったので、私たちの罪が赦される」と考えるのです。ですので、そもそも原罪が無ければ、救世主であるキリストは必要ありません。

 イエス・キリストはユダヤ人ですが、イエス・キリストを磔はりつけにかけたのもユダヤ人です。ですので、現在でもほとんどのユダヤ教の教派では、イエス・キリストを救世主だとは思っていないそうです。ここがキリスト教とユダヤ教の大きな違いです。キリスト教では旧約聖書と新約聖書を正典としていますが、ユダヤ教では旧約聖書だけになります。