スター農園誕生までの流れ

「素人が農家になった思いがけない導き」

■ 自宅の庭に大量のガレキが埋まっていたとは

1998年8月、東京都国分寺市に念願の庭付きの一軒家を購入しました。庭付き一軒家で楽しみにしていたことは、庭を草木や花々、野菜たちでいっぱいにして、緑豊かな暮らしをすることでした。
最初に樹木を植えることにしました。庭と家のバランスを見ながら、東南にはシャラの木を、玄関の横にはヒバを6本。2メートルくらいの木だったので、植木屋さんにお願いして植えてもらいました。しかし、この木々がまったく成長しないのです。
そこで不思議に思って庭の土を掘ってみると、ブロックの破片やプラスチックのかけら、木片、コンクリートの固まったものなどが、大量に出てきました。

「まいったな」 正直、そう思いましたが後の祭りです。購入した後で、その土地が工務店の資材置き場の跡地であったということが分かりました。それで産業廃棄物が埋められていたのです。今さら、どうすることもできませんでした。最初に土地を見学した際には気づかなかったのです。

そこで、業者さんに依頼して、地表から30cmくらいまでの土を廃棄し、良い土を入れたのですが、ほとんど効果はありませんでした。最初に植えたシャラの木は、気の毒なことに枯れてしまいました。翌年に植えた梅の木は、何とか枯れずに頑張ってくれましたが、後から植えた近所の家の梅の木の半分くらいしか成長しません。
隣のお宅も同じ状況で、芝生が全く根付きませんでした。最初は種から芝生を育てたそうですが、5cmくらいまでは育ったものの、その後枯れてしまいました。翌年は、ホームセンターから長方形の芝生を買ってきて、庭に張ったのですが、秋には枯れてしまったとのことでした。お隣さんの様子を見ながら、とんでもないところに住むことになってしまったものだと、気持ちが沈んでしまいました。木々や草花に囲まれた家に住みたいという当初の夢は、はかなくも崩れ去ってしまいました。

その後は、やる気も失せてしまい、庭には直に木を植えずに、植木鉢に植えることにしました。ツツジも鉢植えですし、コデマリも鉢植えです。
ダメもとで、ホームセンターで培養土をたくさん買ってきて、庭に入れ、野菜の苗を植えてみました。しかし、ピーマンが2個とミニトマトが5個生っただけで、すぐに枯れてしまいました。
朝顔も発芽後、10cmくらい生長したと思ったら、花を咲かせてしまいました。植物の本能として、子孫を残すためにすぐ花を咲かせ、種を作ろうとしたのかもしれません。そのような朝顔は初めてみました。そして8月に入ると、枯れてしまいました。
翌年は、前の年の種が土に落ちたようで、自然と芽が出てきました。そしてまた、10cm生長した段階で花が咲き、8月には枯れていました。
このような状況が5年くらい続きました。結局何一つ成功しなかったため、すっかり気落ちしてしまいました。当初の夢だった家庭菜園など、夢のまた夢。いつしか庭に対しても関心がなくなっていきました。

■ 「奇跡のリンゴ」との出合い

数年後の2008年、木村秋則氏の著書「奇跡のリンゴ」(幻冬舎)を読みました。不可能といわれていた無農薬・無肥料でのリンゴ栽培を、10年間の試行錯誤の末、ついに成功させたのです。とても感動すると同時に、眠っていた「農」への想いが復活し始めました。また、テレビ番組の「ザ!鉄腕!DASH!」を毎週見ながら、これを実際にやってみたい、こんな風に仲間同士と助け合いながら、農業ができたらどんなにいいだろうと思うようになりました。

■ 再度農業へチャレンジ

まずは実践してみようと思い、群馬県伊勢崎市の親戚の農家から、慣行農法(一般的な農薬・化学肥料を使う農法)を教わることにしました。農家に生まれたわけでもなく、農業の学校を出たわけでもないので、基礎がまったくありません。農業の書籍は数冊読んでいたものの、実際に作業を行うのは初めてです。クワで畑を耕し、化学肥料と苦土石灰を入れ、再度クワで耕します。
2週間後、クワで畝を立てます。そして、支柱を横にして畝に押さえつけ、幅1cmほどの溝を作ります。その溝に、小松菜や人参の種を3cm間隔で置いていきます。種に土をかぶせ、ジョーロで水を撒いて完成です。
その後、間引きや土寄せ、草取りなど一連の作業を教わりました。家庭菜園レベルでしたが、大変勉強になりました。ただ、農薬で虫などの生き物を殺してしまう農法ではなく、無農薬農法を実践したいと思っていました。
そこで、大下伸悦氏が主宰されている「グリーンオーナークラブ」と、中村陽子氏の「めだかのがっこう」に入会しました。また、田んぼで無農薬のお米も作りたいと思い、埼玉県秩父市の「寺坂棚田学校」に入会しました。東京から秩父へ通い、一連の作業を教わりました。

さらに、サラリーマン時代に懇意にしていただいていた取引先の方の実家に泊まり込んで、農作業を教わることにしました。その方の実家は埼玉県児玉郡で農業を営んでいたので、プロ農家の作業を習得する良い機会でした。マルチの張り方や、支柱の立て方などプロ農家の基本作業を教えていただきました。その他、同じく埼玉県の美里町、浦和市、ふじみ野市、所沢市などで無農薬栽培をしている農家に片っぱしから押し掛けて、教えていただいたのです。

それと並行して、10年間諦めていた自宅の庭でも、無農薬・無化学肥料で再度やってみることにしました。ピーマン、パプリカ、ミニトマト、ナス、レタスなどを、庭と2階のベランダで栽培することにしました。今までに習得した知識や技術を駆使したつもりですが、思うようにいきませんでした。かなり虫に食われてしまい、収穫はほとんどできませんでした。結果的に、ピーマン4個、パプリカ1個、ミニトマト8個、ナス5個、レタス少しという散々な結果でした。やはり汚染されてしまった自宅の土では、野菜は栽培できないのか、とまたもや落胆してしまいました。

■ ついに成功! ガレキに花が咲きました

そんな中、日本弥栄の会発行の月刊「玉響」を読んでいると、「パイ(π)システム」で栽培されたトマトやイチゴの成功事例が目に留まりました。冬でも夏でも一年中咲いている朝顔の話もありました。さらに、河川の汚れをパイシステムで浄化したという事例も載っていました。「これならできるかもしれない!」と思い、パイシステムの資材を購入しました。
ところが、購入した時期が11月だったため、種蒔きできる野菜がありません。仕方がないので、パイシステムの液体資材を、庭のつつじや梅、杏、ミツバツツジなどに散布しました。
翌年の春、思いがけないことが起こったのです。8年もの間、毎年一つか二つしか花を咲かせなかったツツジが、30個以上の花を付けてくれました。梅もミツバツツジも今までの2倍以上の花を付けてくれたのです。家族も皆驚いていました。
そして、今まで一度も実を付けたことのない杏(あんず)に、7個も実が生りました。そのうち、落ちずに残った2個の実を食べることができました! 黄色く色づき、上品な香りの杏は、まさに最高の味でした。

その後、ジャガイモやトマト、長ネギ、ピーマン、パプリカ、枝豆、ナス、キュウリ、落花生、アスパラ、サトイモの栽培を庭で始めたのです。6月中旬、嬉しいことに7cmくらいの大きさのジャガイモが、70個ほど収穫できました。また、トマトやキュウリも収穫できました。食べてみると、市販のものより味がまろやかに感じました。キュウリなどは独特の青臭さがなく上品な味になった感じです。とても瑞々しく、家族にもとても評判が良かったです。まさに感無量の想いでした。

何度も栽培を諦めた我が家の庭の土が、「パイシステム」で見事に甦りました! ガレキで汚されてしまい、草木も枯れてしまうような土でしたが、パイシステムの農業資材(現在の「ソイルスター」「畑のミネラル」「陽旬77」)を使うことにより、美味しいトマトやキュウリが実る良い土に変わったのです。正直信じられない気持ちでいっぱいでした。まさに「ガレキに花が咲く」のです。
ガレキの埋まった土地を与えられたからこそ、何とか改良しようと頑張れたのかも知れません。「人生は塞翁が馬」だとしみじみ思いました。

■ 2010年 スター農園が本格的に始動

翌年も自宅の庭で、「パイウォーター」の農業資材(現在の「ソイルスター」「畑のミネラル」「陽旬77」)を使い、無農薬・無化学肥料で栽培を行いました。トマトやキュウリ、ナス、ピーマン、ジャガイモ、ブロッコリー、パセリなどが元気に育ち、たくさん収穫することができました。これなら本格的に農地で栽培しても、きっと上手くいくだろうと自信が湧いてきました。
そこで、まずは農地を探すことにしました。いろいろと当たってみましたが、ふさわしい農地は見つかりませんでした。そんな時、父親から、群馬県前橋市の親戚が農地を貸してくれるそうだとの連絡をもらいました。早速父親と現地へ行ってみると、赤城山の麓の標高約200メートルに位置する広々とした農地でした。遠くに前橋市街が見えました。約20町(6万坪)あるので好きなだけ使っていいと言われましたが、まずは2反(600坪)の農地を借りることにしました。
こうして2010年7月から群馬県前橋市の赤城山ろくで「スター農園」を始めることになったのです。

■ スター農法バージョン1.0の完成

初年度の2010年は、肥料分が畑に残っていたため、とても元気に育ちました。ところが、2年目、3年目になると、次第に成長がにぶくなっていったのです。無肥料で栽培していたので、残留肥料が無くなってしまったのが原因のようです。また、無肥料栽培が可能な土壌に仕上がっていないことも起因していると考えられました。パイウォーターの農業資材を使えば、無農薬・無肥料で元気な野菜が育つと自信を持っていたのですが、その自信も揺らいでいきました。

そんな時、木村秋則氏の農法を実践しているプロ農家の方が腐葉土を使っていることを知り、試してみることにしました。スター農園の雑草や赤城山の落ち葉をパイシステムの農業資材で醗酵させ、腐葉土(現在の「畑のミネラル」)を作りました。

それを畑にすき込んだところ、今まで生長が芳しくなかった野菜が、元気に成長したのです。トマトやナス、キュウリ、キャベツ、大根、人参、小松菜、ほうれん草、わさび菜、からし菜、水菜、チンゲン菜、春菊、カブなどが、初めて栽培した年と同じように元気で、大きく、そして美味しく育ってくれたのです。
今までに、数え切れないほどの失敗をしてきましたが、ようやく「スター農法バージョン1.0」が完成したのです。

農薬を使わなくてもパイウォーターの農業資材の効果で、ほとんど虫には食われません。化学肥料を使用しなくても大きく元気な野菜が育ちます。しかも硝酸態窒素の問題も解決できました。畝を立てたり、マルチを張るなどの基本的な技術は必要ですが、土壌作りに関しては難しい技術を必要としませんので、誰でも元気で安全な野菜を作ることができます(土壌が悪い場合には、スター農法の農業資材で改善するのに2年くらいかかる場合もあります)。

■ テラヘルツ35でパワーアップ

その後、NPO法人日本ORP測定検証協会の大友代表より、「テラヘルツ35照射機」を紹介していただきました。テラヘルツ35は地球上のすべての物質から放射されている電磁波です。テラヘルツ35はパイウォーター同様、極めて高い還元力があります。

テラヘルツ35の特徴は以下になります。
①Tera35 波とは、周波数約35テラへルツの電磁波です。
②Tera35波の作用
・共振作用で、水素結合を分断
・電子の散乱運動を円滑化
③Tera35波の一般的な効果
・還元効果のある水素陽イオン(H+)や電子を放出します。
・水は腐りにくい水となり、栄養素は体内での吸収が良くなります。
・電子の動きが円滑になることで、神経電子の伝搬が良くなり、電気抵抗が小さくなります。
④Tera35の健康・美容効果
・血液や細胞水が活性化され、免疫力が上がります。
・筋肉細胞が柔らかくなり、痛みが緩和されます。
・血液がサラサラになります。
・神経性症状が緩和されます。
・美肌維持や老化防止になります。
⑤Tera35の効果は種々に伝搬します。

パイウォーターで作った農業資材に、テラヘルツ35を照射することにより、さらに還元力の高い農業資材を作ることができました。
実験をしてみると、パイウォーターの農業資材よりも、さらに野菜やお米が元気に育つことが分かりました。
こうしてできた農業資材が「ソイルスター」「畑のミネラル」「陽旬77」です。スター農園ではこれらの農業資材を使用して野菜やお米を栽培しています。

スター農法はとても良い農法だと考えていますが、これだけが最高の農法だとは思っていませんので、今後も良いと思われる農法は取り入れていき、更なる発展を目指していきたいと思います。