<「宇宙の兄弟たちへ」から転載>
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熊の霊的意味と被害が相次ぐ意味
ニュースでは「どんぐりの不作」や「温暖化による生息地の変化」など、生態学的な説明がなされますが、スピリチュアルな視点から見ると、これは単なる自然現象ではなく、地球の守り手たちからの深いメッセージでもあります。
熊は森の守り主
熊は古来より「森の神」「山の主」と呼ばれ、自然界のバランスを守る存在とされてきました。
アイヌの文化では、熊はカムイ(神)の化身として崇められ、熊が人里に現れることは「神が降りた」という特別な意味を持っていました。
熊はただの動物ではなく、森を護る精霊の代表でもあります。
その力強さは、母なる地球の生命力を象徴し、冬眠と目覚めを繰り返す姿は「死と再生」「内省と覚醒」の循環を示しているのです。
森と人の境界が失われた
しかし現代において、人と熊との関係は大きく変わってしまいました。
その背景には、人間による自然開発の急速な進行があります。
特に近年、山林を切り開いて設置されるソーラーパネルや、メガソーラー事業などが各地で増えています。
これにより、長年熊が暮らしてきた森の奥深くまで重機が入り込み、静寂だった山は騒音と振動に包まれました。
森の生態系は乱れ、動物たちは居場所を追われ、食糧源を失い、やむなく人間の生活圏へと降りてくるようになった部分もあるでしょう。
つまり、熊が人里に現れるのは「熊が変わった」からではなく、「人間が森との境界を破壊した」からなのです。
霊的視点で見る「境界の崩壊」
スピリチュアルな観点では、熊の出没は「森と人の結界が崩れた」ことを意味します。
昔の人々は、山に入るとき「お邪魔します」と心で唱え、山の神に礼を尽くしました。
神社の背後に鎮守の森があるように、森は神聖な領域とされていたのです。
しかし今はその感覚が失われ、森は「資源」や「土地」として扱われています。
人間がその境界を忘れたとき、森の守り主である熊が災いをもたらす存在となっていきます。
熊の声を聴く ― 地球からのメッセージ
熊たちの出没は、「人間が自然のバランスを見失っている」という意識の表れでもあります。
自然は私たちに、訴えているのです。
「もう一度、森を敬いなさい」
「境界を取り戻しなさい」
「両者のバランスを取る道を見つけなさい」
熊の出現は、破壊ではなく、再び調和を築くための呼びかけなのです。
森と人が共に生きる未来へ
これからの時代、私たちは「自然を制服する」考えから、「自然と共に生きる」意識も取り入れねばなりません。
ただし同時に、熊が人間社会に過度に侵入してしまえば、双方にとって不幸な結果を招きます。
したがって、人間側にも一定の管理と見守りの責任が必要です。
生息数の調整や、餌場の確保、境界線の整備などを通じて、
熊たちが再び本来の森で安心して暮らせるようにする――それが、真の「共存」という形なのです。
可哀想だから殺すな、ではなく、増えすぎた個体数を管理し、バランスをもたらすのも人間の役割です。
<転載終わり>
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今年は熊による事故が相次いでいます。
森を管理し、整備することも必要なのかもしれませんが、
メガソーラーなどの開発は不要だと思います。
木を伐採してしまえば、山の土壌が弱くなり、地滑りの原因になります。
当然熊のエサも少なくなり、居場所もなくなってしまいます。
全て人間の乱開発が原因ではないと思いますが、
影響は大きいと思います。
これまで科学技術の発展により、人間は自然を開発してきました。
ダムをつくるには巨大な開発をしなければなりません。
お蔭で人間は電気や水道の恩恵を受けているので、
有難いことではありますが、多くの動物の住処を奪ってしまったことにもなります。
日本は人口が減ってきているので、自然の開発はこれ以上必要ないように思います。
日本の山は熊のエサになるブナやコナラ、クリよりも
杉などの針葉樹が多いです。
杉ばかり植林しないで、ブナやコナラ、クリの植林を増やしたほうがよいように思います。
木材をつくるために杉を植林することも分からないではありませんが、
海外から安い木材を輸入しているので、日本の杉を木材にすることは
相当少なくなっています。
昔の人は山の神、海の神などと自然を敬う心がありました。
洪代表が言われるように、自然を敬う気持ちが大事だと思いました。
