「宇宙訳日月神示」より一部を転載します。

■  死海文書

 1947年から1956年までに、イスラエルの死海の近くにあるクムラン洞窟から、旧約聖書や、戒律書、予言書の写しなどが850巻発見されました。その後発見された資料を調査したところ、エッセネ派の「クムラン宗団」のものであることが分かりました。

 エッセネ派の人々は、高潔さを守り、平和的な信仰生活を送っていたそうです。祈りを中心に日々を送り、農作業や勉学に励んでいたようです。また、音楽と芸術に親しみ、他からの来訪者を差別することなく扱ったそうです。イエス・キリストはこのエッセネ派の出身だったといわれています。

 礼拝に参加すると、祈りを行うのですが、最後に「父と子と精霊によって、アーメン」と言います。キリスト教では「天なる父、神の子イエス、精霊」の三位一体を説いています。祈りを行う中で、三位一体説に違和感を覚えていました。「父と母と子」のほうがしっくりいくのではないかと思っていました。

 エッセネ派が著した聖典である「平和福音書」には以下のようにあります。これはイエス・キリストが語った言葉とされています。

 「人間の精神は天なる父の精神から創られており、身体は大地なる母から生まれたものだからです。」

 「そうすれば、人間は本当の兄弟がそうするように、天なる父大地なる母から彼らが与えられた愛をわかち合って、みんながお互いの相談相手になることでしょう。」

 「人間は大地なる母がお生みになられたその息子なのです。生みの母親から人間は、その全身を授かりました。」

 このように「父と母と子」の三位一体が説かれています。聖書を編纂した人の思惑で、母が削られてしまったのではないかと考えられます。

 出口王仁三郎も以下のように、それを指摘しています。

「キリストは三位一体と説いて居るが、其の三位一体は父と子と聖霊とを云ふて居る。聖霊なるものは決して独立したものでなく、天にも地にも人にも聖霊が主要部を占めておる。否、聖霊其のものが天であり、地であり、父であり、母であり、子であり、人である。故に三位一体といっても其実は二位一体である。キリスト教には父と子はあっても母が無い。マホメット教も亦また 其通りである。」

■  精神だけでなく肉体も神聖なものである

「平和福音書」には、以下のようなイエスの言葉もあります。

「もしあなた達が、生きた神の御言葉みことばと御力みちからの宿りを自らの体内に持ちたいと思うのならば、ご自分の肉体と精神を汚してはいけないのです。なぜならば、肉体とは精神の宿る神殿であり、精神は神の住み給う宮殿だからです。その故にこそ、造物ぞうぶつ主しゅがお住みになられて、神に似つかわしい御座みざを占めることが叶うように、宮殿たるわが身とわが心とを清めねばなりません。」

 肉体と精神はとても神聖なものであるとイエスは言われています。そして、身体と心には創造主である神が住んでいるとあります。このイエスの言葉は、とても深いものがあります。

つづく・・・